プロフィール
名 前 | 前川 裕 |
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生年月日 | 昭和38年3月13日生まれ |
出身校 | 石川県立金沢桜丘高等学校卒業 |
資格 | 柔道整復師、介護予防、機能訓練指導員認定柔道整復師 | 所 属 | 一般社団法人 日本治療協会 | 趣 味 | 映画鑑賞 |
大学を落ちて柔道整復師に
高校時代からなんとなく大学へ行こうかな・・・と考えていましたが、見事に受験に失敗。大学受験に落ちた私は、浪人生活に入る予定でしたが、知人から‘’柔道整復師‘’にならないか?と誘いを受けました。接骨院を経営する資格を‘’柔道整復師‘’ということをその時初めて知りました。
受験勉強から逃げたい私はとりあえずやってみようかな・・・というくらいの気持ちで専門学校へ入学し2年後国家試験に合格して柔道整復師の資格を取りました。
資格取得後、富山県の接骨院へ住み込みで弟子入りしました。
就職した接骨院は骨折や脱臼といった接骨院が本来専門とする怪我の患者さんが多く来院していました。当時は今のようにあちこちに整形外科があるという状態ではなかったため、骨折をしたら接骨院に行くのが普通だったのです。私も骨折の処置や脱臼の整復などを経験しました。3年間の研修期間を終えて、地元の金沢で接骨院を開業したのは25歳の時です。骨折や脱臼の処置ができるように固定用の金属シーネ、包帯、自院で作る特性の湿布など用意して開業を迎えたのですが、私は面食らいました。
骨折や脱臼などの患者は全く来ないのです。来院するのは腰痛や手足のシビレ、膝や肩の痛みといった慢性痛の患者ばかりだったからです。金沢にはすでに多くの整形外科が存在していたため、骨折しても接骨院へ来ることはなくなっていたのです。
私はそれまで腰痛や膝痛等を診る機会が少なかったので、とりあえず専門学校時代の教科書を引っ張り出しどうやって施術するのか調べましたが、愕然としました。
専門学校の教科書には骨折や脱臼の整復の仕方は詳しく載っているものの腰痛の治し方、膝痛の治し方、シビレの治し方は一切載っていませんでした。
これは当たり前で、
そもそも柔道整復師は慢性痛を施術する資格ではないからです。
とにかく慢性痛の治し方を習得しなければなりません。いろいろ調べているうちに東京ではカイロプラクティックという技術が流行っているらしいという噂を聞きました。カイロ?エジプトの都市?当時の私はそれくらいの認識でした。
カイロプラクティックはアメリカ発祥の整体術でこのころから日本国内にも広がり始めっていました。
私はカイロというものをぜひ学んでみたいと思いましたが、地元で学べる機会はなく思案していたところ、東京で最新のカイロプラクティックを習得して金沢で開業している先生に出会う機会があり、実際に施術を見学させてもらいました。それはまさに衝撃的な施術でした。首や腰をボキッ,ボキッと音を立てて矯正していく先生の姿はとにかくかっこよく、これこそ自分が求めている施術だ!今すぐ勉強したい!との思いを強く持ちました。
しかし、接骨院を開業して1年ほどしか経っておらず、借金も相当残っていました。
私は迷いましたが、このままではだめだ、変化しなければと考え、開業してたった1年の接骨院を閉めて先生の院で働きながらカイロを勉強させてもらうことになりました。
自分も先生のようにかっこよく施術ができるようになれると考えていましたが、技術は難しく、なかなか先生のようにボキっと矯正することはできません。
1年ほど経った頃、先生に「前川さんは不器用だからほかのやり方を探した方がいいかもしれないね」と言われ自分のふがいなさに情けなくなりました。接骨院を閉めてまで挑戦したカイロにダメ出しを食らったのです。しばらく落ち込みましたが、落ち込んでいても仕方ありません。先生が東京で知り合った有名な整体院を紹介してくれました。このまま金沢にいてもらちが明かない、とにかく東京へ行こう!半分、破れかぶれで紹介された整体院へ向かったのです。
挫折、そして東京へ
西武ライオンズのホーム球場の近くにその院はありました。国道から下がってうっそうとした林の中に車1台がやっと通れるような道を抜けていくと小さな看板が見えます。
ドアを開けると…「チワーッ」「チワーッ」数人が一斉にこちらに向かって絶叫しています。
室内には電動式に昇降するカイロプラクティック専用の矯正ベッドが4台並べられ、そろいのTシャツを着た施術者がベッドに横たわった患者さんに「シーッ」「シーッ」という掛け声とともに、身体ごとぶつかっています。ぶつけるたびに4台の矯正ベッドがからガシャン、ガシャンと矯正音が響いています。私はこれまで見たことも聞いたこともない施術に圧倒されました。
4台のベッドを20人ほどの患者さんが取り囲むように座って自分の順番を待っています。ちなみに最初の「チワーッ」は‘’こんにちわー‘’の意味で来院した方にスタッフ全員が掛け声のように発している挨拶でした。
この整体院では院長が‘’野口整体‘’をカイロプラクティックに取り込んだ独自の施術を行っていました。
野口整体とは昭和20年代に創始者の野口晴哉氏が目には見えないが心身に大きな影響を与える「気」の概念を基に開発した整体法です。‘’整体‘’という言葉は野口整体から広まったといわれています。野口氏は「愉気」という体に触れずに気を通す方法で病気を治していたそうです。
私たちスタッフは‘’塾生‘’と呼ばれ、当時は私を含めて8人の塾生が在籍していました。朝7時から院長・塾生全員が車座になり精神を統一するため‘’般若心経‘’を唱えます。その後、野口整体特有の‘’活元運動‘’という一心不乱にくねくねと体を揺らす動きで気を高めます。はた目には新興の宗教団体のように見えたかもしれません。ちなみに私自身は宗教には全く興味はありません。
北海道から沖縄まで日本中から患者がやってきました。中にはわざわざハワイから来日される患者もいました。プロ野球選手や力士も来院していました。タヌキが出そうな林の奥深くにある整体院が1日に200人ほどの患者であふれかえることも珍しくありませんでした。
とにかく忙しく、無我夢中で仕事をしてあっという間に3年が過ぎ、そのころには柔道整復師の資格を持っていた私は院長代理を任されるようになっていました。
しかし、そのころから少しづつ違和感を感じていました。
「あれ?、私が求めていた腰痛、シビレ、膝痛といった慢性痛があまり治っていないんじゃないか?」
そして日本中から来院される患者さんは実は圧倒的な院長のカリスマ性にひかれてやってきているということに気づいたのです。そして、3年かけてここには私が求めていることがないと判断し、退塾したのです。
私はもう一度、カイロプラクティックを基礎から学びたいと考えました。
池袋にある最も有名なカイロの技術養成校に入学することを決め、私は現在の東京スカイツリーにほど近い墨田区や江東区に30軒以上の接骨院を運営していた会社で1軒の接骨院を任され院長として就職し、日曜日ごとに開催されるセミナーを毎週のように受講しました。
カイロには「ガンステッド」「SОT」「ディバーシファイド」「アプライドキネシオロジー」など様々なテクニックがあり、私は片っ端から受講しました。
東京ではその他にも様々な整体法のセミナーが開催されていたので、時間とお金がある限りセミナーを受講しました。
4年ほど過ぎたころにはあこがれていたボキっと骨を矯正する技術も高まり、スタッフに教える側になっていました。そして接骨院を閉めてから8年経ち、もう一度、金沢で院を開くために仕事を退職しました。
ボキボキだけでは限界が・・・
平成8年7月に接骨院を再び開業し、自信をもって施術を続けていました。
以前のように腰痛、しびれ、膝痛の患者さんに戸惑うことなく施術できるようになっていましたが、やはり何か物足りない、もっと違うアプローチはないのか?と考え始めていました。実は実際にボキボキできるようになってみると、確かにある種の症状は劇的に良くなるが、まったく対応できない症状も多数あることに気づいたのです。
また、瞬間的に強い力でボキっと矯正することの安全性にも疑問が生じ始め、カイロ以外の方法を模索していました。
そんなある日、何気なく読んでいた業界誌に「オステオパシー」のセミナーの記事が載っていました。それも県内の七尾市で定期的に開催されていると記してあったのです。
オステオパシーはカイロプラクティックとともにアメリカ発祥の二大整体術です。アメリカでは手術も許可され、特別なオステオパシードクターの称号が与えられています。
私はぜひ参加したいと考え、すぐにセミナーに申し込みました。
全国的なオステオパシー団体の北陸支部が七尾にありました。会場の整体院には20名ほどの受講生が月に1回の講習を受けていました。
講師は業界でもかなり達人と称されている先生でした。
オステオパシーにもボキっという矯正はありますが、特徴的なのは間接法と言って非常に穏やかな刺激で背骨を矯正する技法があり、私も興味を持って毎月セミナーに通い、東京でアメリカやフランス、イギリスなどの本場の外人講師を招いてのセミナーにも積極的に参加しました。
オステオパシーセミナーに参加して7年ほど過ぎたころ、やはり私は、ここでも腰痛、シビレ、膝痛の慢性症状に対する施術に満足できなくなっていました。
ボキっと矯正するだけではよくならない症状がオステオパシー独特の間接法で驚くほど良くなることはありましたが、まだまだ対応できない痛みが多く、私は一旦、オステオパシーセミナーから距離を置くことにしました。
探し求めていた答えがここに
カイロプラクティックから始まり、野口整体、オステオパシー、その他にも多種多様なセミナーに参加し、20年以上が経ち、それぞれ素晴らしいところはあるものの、「慢性痛にはこれが効く!」と言いきれるものはないまま、手技療法の限界を感じていたころ、あるニュースが私の耳に飛び込んできました。
「松坂大輔の肩を治したのは理学療法士」
松坂大輔は‘’平成の怪物‘’として有名な大投手です。
西武ライオンズからメジャーリーグのボストンレッドソックスへ移籍してワールドチャンピオンになっています。その後、松坂は肩を痛めて日本のソフトバンクへ移籍しましたが3年間ほとんど登板することなく引退確実と思われていましたが、移籍した中日ドラゴンズで奇跡の復活、6勝を挙げたのです。
全く投げることができなかった松坂の肩を治したのが理学療法士ということに驚きました。
私の認識では理学療法士は病院でドクターの指示通りに働くだけの存在で、主体的に施術にかかわることはない考えていたからです。
私はその理学療法士に興味を持ちました。そして、関連する理学療法士のサイトを検索するうちにこれまでの認識が変わりました。理学療法士の中には非常に優秀な施術者がいて、最新のテクノロジーで証明された解剖学を基にした施術を行っていました。
特に関節や筋肉の本来の動きを脳にもう一度覚えさせるモーターコントロールエクササイズはこれまで手技での施術だけが痛みの解決になると考えていた私に運動療法の大切さを思い知らせてくれました。
書籍やオンラインでのセミナーなどでこれまで原因不明とされてきた腰痛、シビレ、膝痛などの慢性痛の多くが最新の研究で解明されていることにも驚きました。
そして、30年以上探し続けた私の「慢性痛へのアプローチ」の答えがここにあると確信したのです。
今、私はこれまでに学んだカイロプラクティックやオステオパシー、その他の整体、手技といった伝統的な施術と最新のテクノロジーに裏付けされた理学療法を融合することで腰痛、手足のシビレ、膝痛等の慢性痛症状を良くしています。長年にわたり、様々な症状の患者様に出会ってきた経験と新しく取り入れた最新の解剖学による施術はここまで読んでくださったあなたの悩んでいる症状にもきっとお役に立てると確信しています。
長くつらい症状にお悩みの方はぜひご来院ください。